下関にあるゆっくり小農園の主宰者、上野宗則さんからの便りが届いたので、転載したい。
ゆっくり小学校の辻信一校長から、ナマケモノ倶楽部のメーリングリストを通じて、先日85歳の誕生日を迎えたカナダの生物学者デヴィッド・スズキさんのメッセージが送られてきた。カナダCBCテレビのニュースでインタビューを受けたものを、辻さんが訳してくれている。以下にその一部を紹介しよう。
――コロナ・パンデミックの初期に不思議なことが起こりましたよね。人間が大騒ぎをしている一方で、大気がきれいになったり、水が澄んだり……。
デヴィッドさん:そう、コロナはその意味で、自然界からの警告だったと言えるね。そして、絶好の機会でもある、と。 これからも同様のことは起こり続けるだろう。なぜなら、私たちはあらゆる生きものをますます小さい領域へと追い詰めているからだ。森林の衰弱、大地の破壊……。その結果、これまで縁のなかったウイルスが私たちに飛びかかってくるようになっている。 コロナ禍というのは、私たちにとっての正念場に向けてのウォームアップではないか。そしてそれは私たちが変わるための機会だ。もう、コロナ前の正常な状態に戻ればいいなどということは言えない。そのコロナ前こそが異常だったのだからね。 (ナマケモノ倶楽部のメーリングリストより一部抜粋)
2014年、ゆっくり小学校の開校を記念し、「きみは地球だ!」と題した講義をしてくださったのもデヴィッドさんだった(池袋の自由学園明日館ホールにて)。コロナ以降、僕の心に響いたのは、ジェーン・グドールや山極壽一といった生物学者たちの声。コロナ禍は、人間界の禍である以上に、自然界や野生界の禍であることを改めて気づかされた。
コロナ禍は、文明と野生はどうすれば調和できるのか、という問いでもあるように思う。この問いのこたえを生きるのは簡単ではなさそうだけれど、文明人にできることは必ずあるし、そのこたえを導くために、ゆっくり小学校の理念である「アンラーン、リラーン(学びをほどき、編みなおす)」が、ますます意味をもってくるように思う。
コロナ前の異常な社会をつくった一員として、そこに変化をもたらしたいと願いながら、学びなおしの場を立ち上げた。一文にもならない謎の小学校を立ち上げた僕のことを、周囲の人たちは異常者と呼んでいる。どちらにしても異常者だ笑。
2015年に開墾し、耕作を続けてきたゆっくり小学校の農園は、年を経るごとに多様性を増している。多年草のレモンバームは今年も青々と葉をひろげ、エルダー・フラワーの樹は空に向かってイキイキと背丈を伸ばす。カラスノエンドウや、ノビルにスギナ、ホトケノザ……、どれも食べられる野草たちも、春のかおりを漂わせている。農園に息づく草花や微生物たちは、「お金をちょうだい」と圧をかけてくることもなく、異常な文明人に惜しげもなく豊かさを与えてくれる。人間が余計なことさえしなければ……。
文明と野生の調和のために、人間にできることってなんだろう? 自然界に身を置いて、そのこたえをからだで学ぶ、食べられる遊び場―ゆっくり小学校へ、たくさんの異常者さんたちに、遊びにきてもらいたい笑。ハーブや野草の好きな方、大歓迎! たのしい労働、たのしい修行もたっぷりできます笑。
広い空の下で、草花たちとみんなと一緒に笑いたいな。
以下は、上に上野さんが一部引用されているCBC(カナダ公共放送)テレビでのデヴィッド・スズキの最近のインタビューをぼくが意訳したものの全体:
−−誕生日おめでとうございます。
DS:ありがとう。でも、この歳になるとね、毎日がハッピー・デー。まだ生きているというだけでね。
−−この大切な日に、いちばん言いたいことは?
DS:孫たちに会いたいんだが、コロナ禍で閉じ込められていて、私の誕生日を祝いに会いに来られない。それが残念だ。
−−コロナパンデミックはあなたの人生のコースをどう変えましたか。
DS:多くの人々が死んでしまった。その多くは私のような年寄りだ。その年寄りたちに言いたい。人生を振り返り、どんな大切な教訓を得たのか。何を若い世代のために何ができると思うのか。そのためにできることをすること、それが何より大事なことであるはず。なのに、長い時間、社会から隔離されて、その大切なことをできないままに死んでいくのはあまりに残念だと、そう思っているんだ。
−−コロナ禍で様々な社会問題が露呈しましたね。
DS:長い間、私のような環境活動家たちはオタワに通って、物乞いのように公共交通や省エネ住宅や太陽光発電のための数百万ドルを頼み続けた。政治家たちの答えはいつも、「金がない」だった。それがどうだい。コロナになった途端、何十億ドルがどこからともなく現れたじゃないか。今や、もう「お金がない」では済まされない決定的な危機に私たちは見舞われている。気候変動や種の絶滅といった生存そのもの危機だ。それはコロナ危機などよりずっと、はるかに大きな危機なのだ。
−−コロナ・パンデミックの初期に不思議なことが起こりましたよね。人間が大騒ぎをしている一方で、大気がきれいになったり、水が澄んだり・・・
DS:そう、コロナはその意味で、自然界からの警告だったと言える。そして、絶好の機会を与えられたというだ、と。これからも同様のことは起こり続けるだろう。なぜなら、私たちはあらゆる生きものをますます小さい領域へと追い詰めているからだ。森林の衰弱、大地の破壊・・・。その結果、私たちに縁のなかったウイルスが私たちに飛びかかるようになっている。
コロナ禍というのは、私たちにとっての正念場に向けてのウォームアップではないか。そしてそれは私たちが変わるための機会だ。もう、コロナ前の正常な状態に戻ればいいなどということは言えない。そのコロナ前こそが異常だったのだから。
−−(日系人3世として戦時強制収容を経験したスズキの背景に触れて)コロナ禍で露呈したのは差別、特に明白にアジア系のカナダ人やアメリカ人に向けられた誹謗や暴力でした。
DS:最近のアトランタの事件を見て思っていたんだ。今さら、何をみんな驚いているんだ、と。何も新しいことはないじゃないか。人種差別主義は私たちが生きている社会システムの中に組み込まれている。文化の中に溶け込んでいる。アジア人だけに腹をたてる奴がいると思うかい? アジア人を嫌悪するのと同じ奴らが、黒人を殺したり、シナゴーグで礼拝している人を攻撃したり、モスリム教徒を襲撃したり・・・。つまり、人種差別には区別がないんだ。それに加えてカナダという社会は、いまだに先住民への差別意識に囚われている。
−−85歳の長老の知恵の真髄とはなんでしょう?
DS:忘れないでほしい。私たちはアニマルだということを。アンドリュー、君は動物だ。これは侮辱じゃない。これは生物学的な事実だ。君が、私が、そして私の孫たち、全ての人々が最も必要としているものは何か。それは空気だ。その空気が3分間途絶えるだけで、君は死ぬ。汚染された空気を吸えば病気になる。きれいな空気は自然界からのギフトだ。その空気が汚染されないように守るのは、未来の世代に対する、そして生命の網を形作っている全ての生き物たちへの責任というものだ。
−−動物の一人である私から、動物の一人であるあなた、デヴィッド・スズキへ、改めて誕生日おめでとうございます。そしてすばらしいお話をどうもありがとうございました。
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