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執筆者の写真ナマケモノ事務局

今こそ、ほんもののナマケモノになろう


日本、そして世界は、新型コロナウィルスを前に、混乱と不安の中にあります。今までの働き方、暮らし方を見直す動きもまた広まっていくことでしょう。


ナマケモノ倶楽部は、シンクタンクや専門領域をもった研究集団でもありません。一人ひとりの暮らしから、習慣を変えていくことで、あたらしい文化をつくり、世界を変えていこう、という冒険に賛同する仲間の集まりです。


医療の最前線にたっている方、病と闘っている方に心からのエールを送りつつ、同時に「生命の織物の中のわたし」という原理を思い起こすとき、今こそ、ナマケモノの思想が問われていると思うのです。


ナマケモノになる、とはどういうことか? 辻さんとアンニャ・ライトさん、2人のナマケモノ運動のリーダーが対談した『しんしんと、ディープ・エコロジー』まえがきから、一部を抜粋してそのエッセンスを紹介したいと思います。

 

辻信一


アンニャとぼくとナマケモノ


まず、ぼくとアンニャとの浅からぬ縁を結ぶ役割をはたしてくれた、ある動物の話から始めよう。それは、中南米の森に棲むナマケモノである。

ぼくとアンニャと仲間たちは1999年に「ナマケモノ倶楽部」というNGOをつくった。でもアンニャによれば、「本当の創立者はナマケモノ自身」なのだ。ある日、エクアドルの森にいたアンニャに、その森に棲むミツユビ・ナマケモノ(*)という動物の声が聞こえてきた。そして、アンニャの言うとおり、それがナマケモノ倶楽部と、そのスロー・ムーブメントのはじまりなのであった。

あれは、1998年、エクアドル北部沿岸のエスメラルダス州。港町の市場でミツユビナマケモノが表向きはペット用して、だが実は食用として売られているのをアンニャは目にした。あんなにのろまで無害で無抵抗な動物の手足を縛ったり、小さい箱の中に閉じ込めたり、腕をへし折ったり。その光景が、アンニャにはますます暴力化している人間世界を象徴しているように思えた。


アンニャはいたたまれなくなって、ナマケモノを買い取っては森に返そうとした。でも、彼女が買えば、買い手があるというのでもっと捕まえてこよう、ということになる。これじゃ解決にならない。ナマケモノを救おうと思ったら、その棲みかである森を守るしかない。では、森を守るためには・・・。いつもそうだが、アンニャの思考はこんなふうに、まっすぐと、問題の根本へと突き進む。

エクアドルに住み始めて間もないアンニャは日本にいるぼくや仲間たちに、メールで「SOS」を送ってきた。ナマケモノの森が危ないという「SOS」だ。

「森に行ったらナマケモノの声とともに、彼らの苦しみが私の中にスッと入ってきたの。彼らの苦しみは、森の苦しみ。そしてそれは私たち人間によって引き起こされた苦しみ。さらに、その人間もまた同じ苦しみの環の中にいる。でも、私が抱き上げたナマケモノの顔には永遠の微笑みが浮かんでいた。
彼らは、きっと森の菩薩。苦しみの環から抜け出す道筋を、彼らが示してくれている」

彼女からのSOSを受けたぼく自身、同じエスメラルダス州にマングローブ保全のお手伝いで時々行っていたし、ナマケモノもよく見ていた。ちょっとかわいくてちょっと不気味な生きものだ、くらいに思っていた。でも、アンニャの話を聞いてピンときた。「よし、ぼくも何かしよう」と心に決めた。



ナマケモノになる

その頃から、ぼくはナマケモノ・オタクとなって情報収集に励んだ。アマゾンにおけるナマケモノとの不思議な出会いもあった。また、コスタリカを旅したとき、アヴィアリオス・デル・カリベという、多分世界唯一の「ナマケモノ救護センター」のある民営の自然保護区の代表であるジュディ・アローヨと意気投合して、ぼくもそこで救護され今も飼育されている二頭のミツユビの里親になった。以来、ナマケモノの親として恥ずかしくないスローな生き方を心がけているのだが・・・。

それはナマケモノを巡る「巡礼」だったような気がする。調べれば調べるほど、やっぱりナマケモノはすごい動物だと思い知らされた。例えば、彼らの動きがのろいのは、少ない筋肉で、体重を軽量化し、低エネルギーで生きるための知恵だし、週に一度ほどわざわざ木の根元に降りて排泄するのも、その木に確実に養分を返すための知恵らしい。彼らの生き方はまさに循環、低エネルギー、共生、非暴力、といった現代人にとって重要なキーワードを体現するものだったのだ。

だとしたら、「ナマケモノを救え」というのはおかしい。むしろ、ナマケモノによってぼくらのほうが救われるのではないか。そう、興奮して話すぼくに、アンニャはビックリするどころか、「ね、やっぱり、そうでしょ」とニヤニヤしていた。そしてこう言った。「今思うと、あのとき私が送った<SOS>は、<SAVE OUR SOUL>、つまり、“自分の魂を救え”というメッセージだったにちがいない」

うーむ、ちょっと苦しいダジャレだけど、アンニャが直観的に感じとった森からのメッセージを、ぼくも回り道してやっとつかんだ、ということで納得することにした。そして、アンニャの言う「ナマケモノの生き方に倣うことで私たちも救われる」という思想(本書で詳しく見るように、それをディープ・エコロジーと呼ぶ)を、「ナマケモノになろう」という標語で表現することになったわけだ。




何をナマケるのか?


そうしてナマケモノ倶楽部が発足する(詳しくは本文を読んでのお楽しみ)ことになるのだが、メンバーとなった本人たちさえ、「ナマケモノ」という名前に慣れるのには、時間がかかった。特に英語でナマケモノのことをslothというのだが、これはユダヤ・キリスト教的な伝統の中で「死に至る七つの大罪」のひとつとして忌避される「怠惰」と同じ言葉だ。

しかし、アンニャはひるまなかった。そして、できたばかりのナマケモノ倶楽部のために、「ナマケモノ・ソング」、「Call Me Sloth(ナマケモノと呼んで)」などのテーマソングをつくってくれた。


のろまとか、怠惰とか、クレイジーと思われても平気 買いたがらない、欲しがらない私 仕返しをしない私、必要のないことをしない私 そんな私をどうぞナマケモノと呼んで 私はゆっくり、ゆうゆう、自分のペースで生きていく そうすればきっとうまくいく

アンニャにとってスローライフとは単にのんびりすることを意味するのではない。それは、消費をナマケる、経済をナマケる、所有をナマケる、競争をナマケる、スピードをナマケる・・・、というボイコット運動なのだ。

アンニャはこう考える。私たち運動家は、「南」の貧しい国々で起こっている環境破壊をなんとかしたいと、現地へ赴いて様々な活動をしてきた。それもすごく大事なことだけど、元をたどれば、そういう環境破壊の原因は、「北」のお金持ちの国々に住む私たちの浪費的な暮らし方にある。その原因そのものを変えることこそが重要だ。

つまり、「より速く、より多く」を合言葉に生産性と効率性を競い、消費の量で豊かさを測るこの「ゲーム」から降りること。アンニャとぼくと仲間たちは、このことを、「ナマケモノになる」とか、「スロー」とかという言葉で表そうとしたのだ。

日本は特に、「ナマケ甲斐のある国」だ。アンニャは今でも日本に来るたびにびっくりするという。携帯電話やパソコンを買い換える速さ。自販機、プラスチックゴミ、捨てられる食品の多さ。家電と化した便器。駅前で配られるティッシュ・・・。そのために、どれだけ自然環境が傷つけられているか。

「でも」、とアンニャは言う。「私たちの行動が問題の原因だとわかってしまえば、あとは簡単。その行動を変えるだけで、私たちは問題の原因から解決の側にとび移れるのだから」。 ナマケモノとは、かくも能動的で、行動的で、ラジカルな生き方のことなのだった。


希望はある


母親となったアンニャは自宅出産、自然出産、そしてスローな子育てこそが、最もラジカルな平和とエコロジーのための活動だ、と信じるようになった。子どもの頃に早々と人間に絶望した彼女だったが、今は「希望」をしっかりと手にしている。彼女はぼくにこう言ったことがある。


「この世界には絶望的なニュースばかりだけど、でも新しい生命は生まれてくる。

それは<まだ希望がある>ということの証明だと思うの。

だって、本当に希望も何もないところに新しい生命はやってこないはずでしょ?」


アンニャの言葉が 同じ時代を生きるあなたの中に共鳴を起こして、これからの厳しい時代を生き抜く糧となりますように。




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