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執筆者の写真ナマケモノ事務局

非戦のルーツ、TOKYO still says NO WAR〜3.10東京大空襲に寄せて 小澤陽祐



●母:母方のおじいちゃんは東京都墨田区太平でネジとかバネを作る小さな町工場を営んでいた。3月10日未明の東京大空襲、母はおばあちゃんの背中におぶわれ戦火を逃れ松戸へ。その後そのまま松戸市民に。

同じように戦火から逃れて、その後松戸で暮らした人たちは「焼け出され組」と呼ばれた。

●父:長野県大鹿村出身。父方のおじいちゃんは「戦争反対」を唱えていたら南方の戦地に送られ、終戦後引き揚げを待つ間にボルネオ島あたりで現地ゲリラに襲撃されて死亡。

父方おじいちゃん戦死の一部始終を知ったのが割と最近で、両親の生い立ちを知り、自分が小さい頃から「戦争はイヤだな」と感じるワケを理解した。


だから自分は非戦する。 戦争をホーキ、戦争をナマケよう。

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1 commentaire


パン田綾子
パン田綾子
11 mars 2022

東京大空襲で戦火を逃れようとするところに、報道で見るウクライナの方の姿が重なりました。


大戦下で親族が何をしていたか、私も最近まで知りませんでした。捨てられていたシベリアからの引き上げ票を、こっそり保存しています。


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