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執筆者の写真ナマケモノ事務局

『ゆるゆるスローなべてるの家』向谷地生良x辻信一




はじめに――おかげさまでぼくも病気らしいです


ナマケモノの10周年

今年2009年、ぼくが世話人を務める「ナマケモノ倶楽部」と、それが展開してきたスロー・ムーブメントは10周年を迎える。新年の集まりでの挨拶で、ぼくはこう切り出した。「創設にあたって、10年くらいたったらやめようね、と言いあっていました。さて、どうしましょう。止めますか?」

 みんな笑った。それはそうだ。今日の集まりには、今年一年かけて展開するはずの10周年記念事業についての議題がズラリと並んでいる。ちょっと意気込んできた人もいただろう。でも、こうして笑うことで、肩から力が抜けていく。ぼくも一緒に笑いながら、ま、このゆるさ、このスローさなら、まだ続けてもいいかな、と思った。「じゃあ、いつやめてもいいんだといういい加減な気持ちを新たにして、またやっていくことにしましょうか」

これが前置き。ぼくは、挨拶を続けた。10年目の今年、一種の棚卸しをやって、スロームーブメントの再定義をやりたい。そう言いながら、ぼくは早速、10年前、友人やぼくの教え子でもある学生たちと、「こんなグループを、こんなムーブメントをつくろう」とワイワイガヤガヤ話し合っていた頃のことを振り返った。

 たとえば、こんなふうに。


スロームーブメントは、環境=文化運動だ、とぼくたちは考える。環境問題とは単に技術的な問題ではなく、ぼくたちひとりひとりの考え方や暮らしのあり方の問題だと思うから。では、なぜ、ナマケモノか。それは、ナマケモノ的なスローな生き方にこそ、地球温暖化をはじめとする危機の時代を人類が生き延びるカギがあると思うから。

ぼくたちはスローライフを提唱する。そのスローライフのシンボルはミツユビ・ナマケモノ。中南米の熱帯雨林に棲む世にも愛らしい、でもちょっと不気味な動物だ。ナマケモノ倶楽部はしかし、動物愛護団体ではない。ぼくたちのは「ナマケモノを守ろう」じゃなくて、「ナマケモノになろう」なのだ。

ミツユビ・ナマケモノほど、嘲笑と侮蔑の的になってきた動物も珍しい。あまりに「のろま」で、「低能」で、「弱く」て、「怠惰」で・・・。しかし、近年の研究の結果、次々に驚くべきことが明らかになった。

まず、なぜ動きがあんなにのろいのか。それは筋肉が少ないから。筋肉が少なければ、低カロリー、低タンパクで生きることができる。ミツユビ・ナマケモノは木の葉だけを食べるベジタリアン。筋肉が少なくて軽いから木の高みの細い枝にもぶる下がることができ、それだけ天敵から襲われる心配も少ない。一週間に一度、彼らはリスクをおかして木の根元まで下りてきて、地面に浅い穴を掘って排泄する。排泄にこんな危険な方法をとるのはなぜか。実はこれが、生態学的に重要な意味を持っていることがわかった。高温多湿のジャングルでは、糞はあっという間に分解されて土を肥やさない。でも、ナマケモノは、葉を食べて得た栄養をなるべくその同じ木に返すために、そういう排泄をしていたというわけだ。自分の命を養う植物を逆に支え、育てているという。人間の世界で言えば、「お百姓さん」だ。

こうして、ナマケモノは怠けているどころか、周囲の生態系と見事に調和した、エコな暮らしを実現していることがわかってきた。進化といえば、ぼくたちはすぐ、「より速く、より強い」ものが勝ちのこるという「弱肉強食」をイメージしがちだ。でもナマケモノは樹上高く、誰と争うこともなく、のんびりと、徹底した低エネ、循環型、共生、非暴力平和のライフスタイルを貫くことで成功した。遅さと弱さが彼らの力だったんだ。

どうやら、ナマケモノの生き方にこそ、生存の危機に立たされた21世紀の人類のために役立つヒントが詰めこまれているらしい。だから、「ナマケモノになろう」


 ミツユビ・ナマケモノにちなんで、ぼくたちは何事も3つをセットにして考える。スロー・スモール・シンプル。あいさつも二つ指のVサインの代わりに、三つ指で。ラブ・ピース・アンド・ライフ。

 これまでは違う領域として分離されていた「運動」と「ビジネス」と「学び」の3つをごちゃまぜにして、メンバーはそれぞれの混ぜ具合でライフスタイルを作っていくことを目指す。

人間に対する暴力や自然に対する暴力に反対し、抵抗する。しかし、反対のための反対ではない、変革のための具体的な行動をとろう。合言葉は、ガンディが言った、“BE THE CHANGE”。世の中をましな場所にしようと思ったら、どんなにささやかでもいいから、まず、自分の暮らしを、そして自分自身を変えていく。


ぼくたちは快楽主義者。愉しさ、美しさ、安らぎ、おいしさが、世界を変えていくはずだ。自分が素敵だなと思えることは、まあ、ほとんどの場合エコなんだ、とちゃんとした根拠もなく、信じる。

宗教ですか、と訊かれたら、答えずにニヤニヤしてごまかす。

いい加減が良い加減。「あいつら、どこまでまじめなんだか、わからない」、と言われるくらいがちょうどいい。一応組織だけど、まともな組織だと思われて、社会の信用を得るようにはなるまい。

人を責めたり、自分を責めたりするのはやめよう。どうせ、みんな弱くて、いい加減で、だらしのない人たちの集まりなんだから。

クレジット(手柄や業績)を求めまい、誇るまい。

拡大することを目指さない。用が済んだと思ったら、出ていけばいい。案内はしても勧誘しない。出ていく人をとめない、追いかけない。


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ナマケモノがべてるに感染した


 いくつかの本を通じて北海道浦河にある精神障がい者たちのコミュニティ「べてるの家」の存在を知り、ぼくは深い縁を感じた。『「べてるの家」から吹く風』(いのちのことば社)という向谷地生良さんの本の表紙を飾るべてるメンバーたちの集合写真の最前列で、一人の男性が、ナマケモノ倶楽部のサインである三つ指を立てているのは、まるで、べてるがぼくたちにラブコールを送っているかのようで、胸がドキドキした。実際にナマケモノ倶楽部の仲間たちと浦河をはじめて訪ねて以来始まったべてるとの交流は、ナマケモノ倶楽部の10年の歴史の中で特筆に値する大事件だと思っている。ぼくたちなりに提唱してきたスローライフということの意味が、べてると出会うことで、“腑に落ちた”のだとぼくは感じる。

 一度べてるの家を訪ねたものは、また必ずやってくる。そういう“神話”が、浦河にはあるそうだ。ぼくもナマケモノ倶楽部の仲間たちも例外ではなかった。やがて、それが一種の“病気”であることがわかった。向谷地さんや浦河日赤病院精神科の川村敏明医師が、「べてるウィルス感染症候群」と呼ぶものだ。

 『安心して絶望できる人生』(NHK生活人新書)には、次のように報告されている。


「べてるウイルス感染症候群」とは、1990年代より北海道浦河町を感染源として発見された強い感染力を持った難治性の疾患の一種で、未だに有効な治療法は見出されていない。現在でも、「べてるに出会うと“病気”が出る」といわれ、感染者が続出している。

基本的に潜伏期間は短く、浦河滞在中に感染し、帰った後に発症する事例が多いが、滞在中に症状が顕在化する例も見られる。昨今は、二次感染も多く報告されており、人を介した一次感染から、ビデオや本を通じた感染経路も明らかになり、その感染は、予想以上の広がりを見せている。

特に強い感染者は通称「べてらー」と呼ばれ、判っているだけでも、10人を超えるべてらーが現在確認されており、べてるウイルスを全国各地に拡散させる運び屋となっている。(85頁)


 報告者の向谷地、川村両氏によれば、感染者の症状には以下の8つがあるという。


① 初期症状としては「脱力感」が生じる。あまり物事を深刻に考えることを止め、気楽に考えるようになる。

② 今までに考えなかったことを考え、見なかったことをみるようになる結果、一過性の抑うつ状態に陥るか、「自分が阿呆らしくなる」という自罰感覚も伴うが、徐々に筋金入りのいい加減な人間になってくる。

③ 「昇り」に弱く「息切れ」をしやすいだけではなく、「昇る」局面に関心が薄れ、「降り方」がうまくなる。生活面では、張り合わない、競争しないという傾向が強まる。

④ 「忘れること」がうまくなり、気持の切り替えが早くなる。

⑤ 嗜癖性があり、何度も浦河に足を運ぶようになる。年間三回以上、浦河を訪れるか講演に足を運ぶようになると、重度の感染が疑われ誰からとなく「べてらー」といわれるようになる。

⑥ 金欠症状―金銭への執着が薄れ、浦河にくるための交通費がかさみ、お金が貯まらなくなる。

⑦ 社会的な評価に対する興味が薄れ、出世が遅くなるか、しなくなる。

⑧ 多弁症状―自分を語り出し「三度の飯よりミーティング」状態になる。(86頁~87頁)


 『「べてるの家」から吹く風』では、向谷地さんが、べてるウイルス感染症候群が引き起こす「反転症状」なるものについて次のように述べている。


代表的な「反転症状」は“病気”なのに心は健康になる、“貧乏”なのに豊かになってくる、“過疎地”なのに商売が繁盛する、“病気”のおかげで昆布が売れる、“病気”のおかがで友だちができる、“絶望”するほど「いい落ち方してきたね」と誉められる、“病気”になってホッとするなどである。(144頁)


 そしてもうひとつ、向谷地さんは「無力症状」をつけ加えている。これは先ほどの単なる「脱力感」と違って、特に、専門家とその周辺に起きる症状だという。


何も問題が解決していないのに、いつのまにか“解消”されることが起きる。そして、「すること」よりも「しないこと」がうまくなる。(144頁)


 反転症状!ぼくたちがこの10年、スローライフという名のもとに試みてきた価値観の大転換――「速い」から「遅い」へ、「大きい」から「小さい」へ、「強い」から「弱い」へ、「グローバル」から「ローカル」へ――が、浦河という過疎地で精神的な病という名のもとに、着々と進行していたとは!

 向谷地さんたちによれば、べてるウイルス感染症候群への感染効果は予想以上であり、今後、人と場を豊かにする善玉ウイルスとして、さらなる広がりを見せることが予想される、という。よし、ぼくも、べてらーの端くれとして、ささやかながらこの善玉ウイルスを全国各地に拡散させるお手伝いをしよう。


 ゆっくりノートブックシリーズ第4巻として、本書を、スローライフ運動10周年の年に刊行することができて、ぼくは(病気でも)幸せだ。


2009年、少し早すぎる春。八ヶ岳にて。

辻 信一




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