鹿児島からいのゆりです。
花々が咲きほこった春も終わり、山は新緑で眩しく輝いています。夏の準備の土用に入りましたが、筍は、相変わらず、ニョキニョキと毎日新しい芽を出してくるのです!
かつて私にとって筍というのは、スーパーで水と一緒に真空パックにされて並んでいるのを見るだけで、給食の炊き込みご飯や煮物に出てきたのを思い出して、テンションがた落ち、というような存在でした。それが今や、子どもの通う園の園庭が竹林なので、ここ数年は、飽きるほど筍を食べるようになりました。
子どもも先生も保護者も、スコップ片手に毎日のように筍掘りに勤しんでいます。春休みのうちに、イノシシに幾つも掘られて残念がっていたのも束の間、最近は追われるように掘っては分け合い、今日は何の味付けにしようか、と頭を悩ませるほどです。
掘りたてをすぐに米糠と一緒に茹がいて、その日のうちにいただく筍は、違う食べ物のように美味しくて、大人になったからもあるのか、大好きな食材になりました。家でアク抜きするのも大変なので、お母さんたちで集まって、一気に茹でた日もあります。(竹の皮と根元で落とし蓋代わり)
余談ですが、生命力の強い筍は、授乳中に食べすぎると大変なことになるので注意が必要です。
子どもたちも、筍が大好き!
と言っても食べる方ではなくて、筍は格好の遊び道具なのです。
え、当たり前・・・と思われる方もいるかと思いますが、私自身子どもの頃は周りに筍が生えている環境ではなかったので、こんなに面白いものだとは知りませんでした。
とにかく、子どもたちは、筍さえ与えていれば、何時間でも遊んでいます。おままごとで器や料理の材料にしたり、池に浮かべてみたり。細い筍はチャンバラや釣りごっこの道具に、太くて大きな筍は電車やベンチや楽器に。
3歳の我が子は、入園式の帰りに、夫が掘った筍の皮をむく、という仕事を任され、ものすごい使命感を持って、1時間以上むき続けていました。それで火がついたのか、登園初日から一週間くらい、毎日筍の皮をむく、という遊びをひたすらしていたようです。本人は食べるためにむくわけではないので、中身が出てきてもひたすらむき続け、終いにはバラバラになります。
その後、さらに仕事は本格化して、4月後半には、“筍採りの翁”状態になっていました。
家でも筍の話は尽きず、突然テーブルの下に潜ったと思ったら、「筍のマネしようか?」と言って、手だけニョキっと出してきて、すごい速さて椅子に登りドヤ顔をします。すかさずこちらは「あー伸びてきた伸びてきた!早く掘らなきゃ!」と合いの手を入れないといけません。これほんとに、毎日やってます。
園では毎年、学年ごとのクラス名を子どもたちだけで話し合って決めているのですが、今年の年長さんのチーム名は「たけのこ」さんに決まったそうです。毎日キラキラすくすく、すごい生命力で成長していく子どもたちはまさに「竹の子」の様です。
竹は、もともと外来種で、過疎化の進む現代の日本では、耕作放棄地や管理できなくなった里山にはびこり、さらに管理を難しくしたり、獣害や土砂災害の元にもなったりと厄介者のイメージがあったのですが、こうして、春には筍をとり、夏は素麺流しや灯籠や櫓を作り、秋に間伐して乾燥させて資材にして、冬は炭焼き、と年中利用しながら、うまく付き合っていくことができれば、竹山もまた良いものだな、と思います。
学生時代、メキシコ・トセパンで竹の植樹(植竹?!)をしたのは衝撃的な体験でしたが、その後、あの山はどうなったかなぁ?夏までに、園では竹を使った遊具をみんなで作る予定です。
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