こんにちは。エクアドルのワダアヤです。
カフェスローの山本くんがスタートしてくれましたが、せっかくこれまで、ナマケモノとして何年もキャンドルや、暗闇を楽しもうとやってきたのだから、みんなで何か書いてもいいんじゃないかとリレーすることになりました。山本くんは渡し忘れてそのまま走って行ってしまいましたが、暗闇バトンがエクアドルにも回ってきました!
ここ、エクアドル北部のコタカチでは、昨日も一昨日も停電がありました。日本と比べると結構な頻度で停電があるので、強制的キャンドルナイトはそこそこあります。だから電気を消して暗闇を楽しむとか、ろうそくの火を見て和むとか言っても、周囲の人には全く理解されません。そして停電になると当たり前のことながら、ミキサーが使えない、洗濯機が動かない、何よりインターネットがつながらない。その度に日常的にいかに電気に頼っているかを痛感すると共に、たとえば、ソーラー温水器や、暖炉、自転車洗濯機や手動のミキサーなどに救われる思いがするのです。
私が住むコタカチ郡アンデスの農村部では、私がきた当初から電気はありましたが、同じコタカチ郡の中でもさらに都市部から遠いインタグの農村部には電気はありませんでした。比較的余裕のあるお宅には、ディーゼルで回す発電機がありましたが、私がお邪魔するコーヒー生産者のお宅にはほとんどありません。だからインタグに行くときは、防寒着・レインコートと共に、ヘッドライトは欠かせないアイテムでした。夜、トイレなどに外に出ると(家屋内にトイレがあるお宅というのはほぼ皆無)、たくさんの蛍が迎えてくれました。その蛍のあまりの明るさに驚き、潰さないように捕まえて、持参した本の上に置いて、(おお〜、字が見える〜)と喜んでいたことを思い出します。と言っても、その蛍を置いた下の文字一文字しか見えないので、読めるほどではありませんでしたが。
インタグの環境活動家のカルロス・ソリージャさんのお宅も例外ではありませんでした。というよりもむしろ電気がない生活を楽しんでいました。電気がないので、夕食はいつもろうそくの光の下。晴れていれば満天の星。ほぼ赤道直下なので、北斗七星も南十字星も見えるのです。でも家から少し離れるとそこは深い森の闇。虫やカエルや鳥の声がひっきりなしに聞こえ、時折獣(多分)の気配もします。
昼間とは全く違った、しっとりと艶かしい濃密な命の蠢きを感じます。もう数えきれないくらいこちらにお邪魔していますが、お宅に着くのが遅くなって暗くなると、よく知っているはずの一本道なのに、
懐中電灯をつけていてももうどこを歩いているのかわからなくなり、ただただひたすら歩を進めて、そうしてようやく家の光が見えてくるとほっとしたものです。
今でもカルロスさんのお宅の離れには電気は通っていません。私がお邪魔するときはその離れに泊まらせていただくのですが、つい先日、こんなことがありました。夜中に目が覚めて、用を足しに外に出ました。雨がしとしと降っていて、月明かりも星明かりもない、文字通り真っ暗闇。川が増水してごうごうと流れる音がします。屋根があるところから出て、濡れるなぁと思いながら、小走りにトイレに行こうとすると、斜め前方でガサガサッと音がしました。ギョッとしてそちらを見ると、私と同じくらいの目線に二つの光る大きな目。(え、熊?!(はい、この地域にはアンデスメガネグマという絶滅危惧種の熊がいるのです!))その途端に泥に足を取られてずるっと滑って、どしんと尻餅をついてしまいました。恐怖で背筋が凍ります。(ど、どうしよう…!)パニックに陥り動けずにいると、
「ムゥ〜。」
なんとそれは牛でした。柵を破ったか、あるいはきちんと閉めていなかったか、飼っている牛たち数頭が離れのすぐそばまで来ていたのです。でも家畜とは言え、知らない人間に近寄られたりしたら、暴れたり走り回ったりすることもあるので、もう尿意も忘れそそくさと逃げました。泥だらけのパジャマを翌日の服に着替えましたが、コウモリたちが天井近くでバサバサバサバサ。眠れるわけがありません。
そうこうしているうちにまたトイレに行きたくなるし、でも怖いし、あの時ほど、うお〜、早く朝になってくれ〜と願った夜はありませんでした。
以上、私の暗闇体験でした。
では次に渡邉由里佳さんにバトンを渡したいと思いまーす!もしナマケモノの皆さんで、暗闇・キャンドルの思いや体験をシェアしたい方がいらしたらぜひぜひこのリレー(じゃなくてもなんでも)に参加してくださいね。個人的には、長年、ミツロウキャンドルと作っているakarizmのカトウチナツちゃんや、暗闇ナイトで音楽を奏でてきてくれた重松壮一郎さんに思いを共有していただけたらなぁと思っています。
ワダアヤでした。
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