キャンドルナイト、暗闇やあかりとともにあったことについて何を書こうかなぁとあれこれと想いをめぐらせいろいろ思い出していました。(多分これが一番楽しい時間)
子どもたちが小さな頃、自宅で今日はキャンドルを囲んでごはん~♪とか思ったら「こわい~ え~ん」と泣き出してまじかーと思いつつ即強制終了になったり、
長年ご縁頂いたカフェスローでのキャンドルのあかりだけで過ごす「暗闇カフェ」。キッチン内も真っ暗だった時代、客席側はとてもスローないい空間、反してカウンター内は見えな過ぎて笑、いろんなものをひっくり返してわっちゃわちゃになりながらコーヒーを淹れてたり、
20代の頃、今日はキャンドルのあかりでお風呂~と思ったら微妙にお風呂内の酸素濃度が薄い感じになったり(苦笑)。
失敗談もたくさん思い出しましたが、キャンドルのあかりがその一つひとつの角を丸くしてくれる気がします(気のせいかな…(^_^;))
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近年、心に残る暗闇とあかりについて。
3年前、藤岡亜美さん一家と訪れた西表島。
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家族での滞在の最後の夜に、 集落の外れの山の入口のようなところに蛍を見に行きました。 電灯の少ない集落の外れは、墨を流したように本当に真っ暗。 その日は月も出ていなかった気がします。 周りの人と1mぐらい離れるだけで、わからなくなるくらい。 自分が暗闇に吸い込まれていくような、溶けていくような気がしました。 そんな暗闇と呼吸を合わせ、 目を凝らして待っていると、 ぽん、ぽん、ぽん、と 次々に目の前に蛍が現れました。 そのとき見た蛍はとても小さくて、 確かヤエヤマヒメボタルといって、 体長も2ミリちょっとぐらいで日本で一番小さな蛍。 そのとてもちいさなあかりと真っ暗な闇が織りなす空間は、
息をのんでそのあかりを待つこどもたちの空気感も合わさって、とっておきのものとなり、 今も心に残っています。
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暗闇の中で灯すキャンドルのあかりは、 いま、ここの時間。 数々の風景を思い返すと、 人が、心地よく意識を向けることができる、 ちょうどいい範囲を照らしてくれるようにも思います。 見えすぎないこと。 明るすぎないこと。 今、ここにいること。 とかくせっかちな私にはとても難しいのですが、 それでもキャンドルを灯したときはそんな気持ちを思い出します。
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そして、 暗闇の中では人は生きていけないこと。 だからいつでも、小さな灯りを灯すこと。 先月5月22日カフェスロー21周年の日にリアルに集まれた亜美さんの会でも、 6月初めオンライン上でのセヴァンのスピーチを囲んでの会員さん同士の交流会でも、 亜美さん始め、灯りを灯すたくさんのナマケモノの方たちに出会い、私もまたバトンのようにその灯りとともに、元気を頂けたように思います。 ありがとうございました。 ・ つらつらと長く書いてしまいました。 さてさて、次は韓国スオンの鈴木あゆみさんにバトンを託します。 あゆみちゃん、宜しくお願いします!
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