ふじいもんです。
キャンドルナイトリレー企画、たかこさんからバトンを受けました。
キャンドルナイトについて書こうとしたら、
そういえば随分キャンドルナイトをしていないな、と思ったのですが、
毎年、この夏至の前後は、田植え真っ最中なんですよね。
この時期はそれが生活のすべてで、いつ雨が降るかとか、
それに合わせてあの作業をしておかないととか、
暑くなるから早く寝て早朝に作業しようか、とか、
すべてがそれを中心に回っているので、正直キャンドルナイトのことは頭の中にないんです。(すみません。)
でも、今年は、キャンドルナイトリレーのことがあるので、田植えをしながら、そのことを考えていました。田植えの時間って瞑想的というか、いい思索の時間なんですよね。
僕は、2011年から毎年田植えをしていて、今年で12回目の田植えです。
2011年から2020年は冬みず田んぼをやっていて、去年引っ越しにともなって新しい田んぼに移り、(10年森の手入れをしてきた水源の中流の田んぼを借りれました!)
耕作放棄の田んぼを再生するためにトラクターを入れたので、水田の田んぼでした。
正直、トラクターを使ったらこんなに楽なのかって実感した一年でした。
でも今年は、トラクターを使いたくなくて、土壌改良のために冬の間二毛作で大麦を育てたり、田んぼの中に「田」の字に水路をつくったりして、なんとかトラクターを使わないで水を溜めたかったのですが、モグラの掘った穴が多すぎて、穴を探しては埋め、探しては埋めを何日も繰り返したけれど、それでもまだ水は溜まらず、陸稲に近い形での田植えになりました。
先日、友人たちが田植えを手伝いに来てくれて、植えながらこんな会話をしました。
「こんな田植え初めて。」
「水がたまってないとこんなに大変なんだ。」
「現代農業はこの苦労を克服するために生まれたんだね。」
「僕らはそれに逆行してるんだね。」
なんて言って笑っていたんですが、
はたと、本当に今の農業は、先人たちが望んだ結果、選んだ結果なんだろうか、と思いました。
選ぶということは、すべての情報がないと選べないと思いますが、
トラクターで耕し、農薬や除草剤や化学肥料を使った農業によって、楽にはなるかもしれないけれど、
それによって失うものがあることを、わかっていたのだろうか、と。
そして、わかっていなかったんだなということに気がつきました。
だって、農業の影響で大量の生物が絶滅し、微生物が減少し、人間の腸内細菌の数も激減していることがあきらかになったのは最近なんですから。
ということは、僕らは逆行しているんじゃなくて、同じプロセスの中にいるんだと思います。
同じ幸福追求の流れの中に。
そして、そのためには、何を失ってしまったのかと、失う前の状態を知る必要があり、
自然農や冬みず田んぼや不耕起栽培は、それをあきらかにするプロセスなんだと思います。
そして、その両方を知った時に、やっとどちらに進むのかを選ぶことができ、
その先に、次の時代のスタンダードがあるんだと思います。
(ここでやっとキャンドルナイトに戻ります。)
キャンドルもそうで、
便利さを求め、電気を発明し、どんどん電気を使い、夜も明るくし、
星も見えず、蛍もいないような夜を、ほんとうに望んだのでしょうか。
ましてや発電するために、核爆発を起こし、放射能を何万年も出し続けるようなことを、
ほんとうに望んだのでしょうか。
僕らが何を失い、何を取り戻そうとしているのかを知るために、キャンドルを灯すんだと思います。
ハチドリのひとしずくのように。
明日21日は夏至ですね。
キャンドルを灯し、僕らが選ぶ道の先のあるものに想いを想いを馳せてみませんか?
そして、明後日22日から参院選が始まります。選択(洗濯)の時ですね。
ふじいもん
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