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執筆者の写真信一 辻

原発という「はなはだしいすじ違い」 


昨日は、映画監督のオオタヴィンさんと会って、ゆっくり語り合うことができてうれしかった。ぼくの大好きな町の名前がついたイタリアン・レストランにて、モヒートで乾杯。彼はブラジルで、ぼくはキューバで飲んで、その美味しさに魅了されたのだが、はたして、横浜で飲むモヒートの味は・・・


ヴィンさんは一昨日見たばかりのドキュメンタリー映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』の話をしてくれた。ぼくもぜひ見にゆくつもリだ。ヴィンさんはぼくに映画のパンフレットをプレゼントしてくれたので、その中から、特に心に響いた言葉を以下、紹介しよう。


まずは映画の主人公である樋口英明さんが、福井地方裁判所の裁判長として臨んだ「大飯原発3、4号生運転差止請求事件」の判決文(2014年5月21日))から、特にぼくの心に響いた言葉だ。


主文

被告は大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

……

被告は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。

コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。


また、被告は、原子力発電所の稼働がCO2の排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所で一度深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故はわが国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。


やはりこの映画の主役の一人であり、数々の脱原発訴訟を手がけてきた河合弘之弁護士がパンフレットに寄せた「脱原発と自然エネルギーは車の両輪」の中の次のような簡潔な言葉も、現代世界で勢いを増している原発推進の虚妄を鋭く衝いている。

昨今の風潮は、地球温暖化防止のためには原発も自然エネルギーも必要だという雰囲気である。EUタクソノミーにおいても原発はCO2削減に資するので投資及び税制面においても優遇しようということになってしまった。それをロシアからのガスや油の輸入停止が後押しした。しかしそれは本末転倒というものだ。原発というものは過酷事故=急激かつ甚大な公害の危険が常に付きまとう。地球温暖化という緩慢・広範囲な危険を避けるために原発過酷事故という急激・甚大なリスクを犯すというのは本末転倒だ。また、ロシアのウクライナ侵略での原発攻撃・原発占拠から学ぶべき教訓は原発の停止・脱原発である。エネルギーの当面対策としての原発奨励ではない。





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