日本は少し涼しくなってきたでしょうか。ワダアヤです。こちらエクアドル山岳地方も異常気象で、乾季のはずが雨ばかり。おまけに寒くて、ダウンジャケットを着ています。
ナマケモノ倶楽部でエクアドルツアーを何度も開催していた頃、必ず訪れていた場所がエクアドルの海岸地方中央部、マナビ県とエスメラルダス県の境にあるリオ・ムチャーチョ有機農園でした。その中心人物、ニコラ・ミアーズさんとダリオ・プロアーニョさんさん夫妻から、コロナの影響が決定打となり、30年間のエクアドルでのエコプロジェクトに終止符を打つという知らせを受けました。
ナマケモノ倶楽部設立からのよきアドバイザーであり、スローライフ運動の同志、私にとっては外国人としてエクアドルに暮らす先輩でいてくれたニコラとダリオ。彼らへの感謝と尊敬の気持ちを込めて、改めて「エコシティ」バイーア・デ・カラケスの取り組みを振り返ってみることにします。
左:エクアドルの海岸都市、バイーア・デ・カラケス市。
中央:エコシティ宣言のロゴマーク。毎年2月28日には記念式典を開催している。
右:バイーアの街を丘から一望。リゾート地区とスラム街(写真には写ってない)がある。
エコシティ、バイーアの誕生
この地は現在に至るまで、再三、災害の憂き目にあってきました。1997から1998年に起きたエル・ニーニョ、その後、間髪いれずに起こった大地震により、バイーア・デ・カラケス市は壊滅的な打撃を受けました。
また1970年代より、盛んになったえび養殖業は、土壌侵食や河川の汚染を引き起こし、マングローブを中心とした豊かな生態系が目に見えて衰退していきました。さらに「マンチャ・ブランカ(白い斑点)」と言われる病気が異常発生し、バイーアの養殖産業は大きな経済的被害を受けました。エル・ニーニョの暴風雨や大洪水、大地震、マンチャ・ブランカと、連続的に3つの大きな害に見舞われたのです。
災害からの復興に当たり、「自然と共生する街づくり」の必要性を感じたバイーアの人々は、1999年2月28日、現地の市民団体などが中心となり、「エコシティ宣言」を行い、環境を考えた新しい街づくりを進めていく決意を確認しました。その功労者が、リオ・ムチャーチョ農園を作った、ニコラ・ミアーズさんとダリオ・プロアーニョさんさんでした。彼らは、有機エビ池養殖、再生紙を使ったエコパペル、リオ・ムチャーチョ環境学校、エコツーリズムなど、環境保全と町の活性化を進めてきました。
特に素晴らしいのはリオ・ムチャーチョ有機農園です。ここはエクアドルで最初に有機農園と認められた農園で、パーマカルチャー農法、バイオガス、雑廃水の浄化システムを取り入れるなど、自給自足で循環型の生活しています。育てている植物も様々で、ミント、しょうがやターメリックなど、ハーブや香辛料も豊富、ここを訪れる人々への料理にもたくさん使われています。どれも食べたことがないようなオリジナル料理でおいしいのです。
使われている食器やかまどは、昔からこの地方で使われていたもので、地元の伝統文化も大切にしています。今までたくさんのボランティアさんたち、観光客を受け入れ、ニコラたちの知識や思いを伝えてきました。
リオ・ムチャーチョ農園の紹介(英語字幕、撮影:2015年)
エコシティへの再生から17年目、再びの大地震
ところが、2016年4月18日、エクアドルの海岸地方でM7.8の大地震が起こったのです。ちょうど熊本地震の直後でした。リオ・ムチャーチョ農園のほとんどの建物は全壊、または半壊しました。
しかし、ニコラとダリオは本当にたくましい。地震後もすぐに新しい試みを始め、その様子をSNSをつかって発信していきました。宿泊客用のキャビンの多くも倒壊してしまいましたが、竹でできた家の方が全壊を免れていたことから、竹の建築をさらに展開。地震直後からいくつかのワークショップを開催し、コミュニティで家を失った人たちの家を竹で建て直す手伝いをしました。ナマケモノ倶楽部からも義援金を募り、ニコラたちにメッセージとともに5000ドルを送金しました。
そして、リオ・ムチャーチョ農園は、これまでも地域へ大きく貢献してきましたが、もっとエクアドルの人たちに知ってもらおうとエコ・パークにして、それでいて人件費がかからないよう、セルフ・ガイドで回れるようにしていました。
食堂、リビング、事務所などがあった一番大きな建物「4つの風の家」は半壊。泣く泣くそれを壊さなければならかったけれど、使える部分は、こどもたちの家に。
使えない木、竹、土などの有機物はコンポストにして肥料に。そしてコンクリートなど再生できないものは、もともとこの家があった場所に埋め、ここをメモリアル・スポットに。
ニコラたちは農園もありながら、観光客を受け入れ、パーマカルチャーのコースもやり、倒壊した建物を直したり、新しく立て直し、なおかつ新しい形のエコ・パークもやる。本当に立ち止まらずに、一歩一歩進んで行っていました。私が最後に行ったのは、ちょうど1年前のことです。
世界中を襲ったコロナ禍での苦渋の決断
ようやくその新しい試みが形になってきた頃に、このコロナ禍。全世界で観光業に携わっている人々と同様、ニコラたちも大打撃を受けました。それでもSTAY HOMEで各自が食べ物を育てられるように、お金をかけなくてもよい土を作れるようにと、オンラインの講座を開いて、彼らの知識をいろんな人たちとシェアしていました。
私は最後の講座にオンライン参加しましたが、本当に知識が深く、経験も豊富で、いろんな人の細かいケースの質問などに丁寧に答えている姿に、改めて尊敬の意を強くしました。
けれども、やはり経済的にもリオ・ムチャーチョ農園を続けることが難しくなったこと、ニュージーランド出身のニコラのお父さんが高齢になったこと、そしてリオ・ムチャーチョの意思を継ぐ人々が現れたことから、ニコラたちはニュージーランドに帰国(パートナーと子ども達にとっては移住)することになりました。
エクアドルでの生活の30年間を整理して、ニコラは明日発ちます。本当に、いろんなことを教えてくれました。有機農業のこと、ビジネスのこと、教育のこと、エクアドルに住む外国人としても(特に北米やヨーロッパ圏以外の外国人としても)、本当に本当に、私はニコラから受け取ってばかりでした。
何も返せていない。いつかまたエクアドルのエコツアーができたら、とばかり言っていて、結局できなかったことが最大の後悔です。ニコラたちの後を継ぐのは、エコビレッジを作る人たちだそうです。だからニコラたちの残したものは消えない。けれど、きっと違うものになってしまうだろうと思います。
最後に、2017年の写真をまとめた『リオ・ムチャーチョ、バーチャル・スロー・ツアー』をどうぞ。
淋しい気持ちでいっぱいですが、同時に感謝でいっぱいです。
ニコラ、ありがとう!ワダアヤでした。
和田彩子
ナマケモノ倶楽部および株式会社ウィンドファームエクアドルスタッフ。1999年、第1回エクアドルツアーに参加、エクアドルの自然とその自然を守ろうとしている人々に感銘を受け、2002年より長期滞在中。
エクアドル環境保全郡コタカチ郡や有機生産者、手工芸品に取り組む女性グループ、コミュニティエコツーリズムの活動を日本に伝える傍ら、スローをキーワードに、5年半かけ、ソーラーシャワーやコンポストトイレを設置したストローベイルハウスを建設。家族で「有機農園クリキンディ」を営みながら、手作りの暮らしを模索中。三児の母。
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