鹿児島からいのゆりです。7月のとある日、小さなお祭りが、小さな幼稚園で開催されました。それがなんとも興味深いひと時でしたので、みなさまにも少し、ご紹介します。
我が子がお世話になっている園では、ここ数年、地域のお祭りが中止になり、園児と地域住民との交流の場や、地域文化に触れる機会が、ほとんどありませんでした。
昨年は、夏祭りの代わりに、母親が中心となって、”夕涼み会”が催され、園庭の中で、ゲームや出店、スイカ割り、打ち水、花火などを楽しみました。そして今年も、地域の夏休みが中止、となったところで、なぜか、お父さんたちに火がついて、「自分たちで祭りをしよう!」という気運が高まりました。
園舎の大家さんが、地域で使っていたお神輿を貰い受けたので、お父さんたちがその神輿を修繕し、大きな団扇も作りました。お母さんとおばあちゃんが協力して、お揃いの半被を縫い上げ、友人に頼んでオリジナルの紋様を入れてもらいました。
たくさん準備をして、いよいよ本番です。
お神輿を担いで、子どもたちがいつも過ごしている園舎の前からスタート。近隣のお家の玄関先や、道端のところどころ、近くの林にひっそりと建つ神社の鳥居前で立ち止まって、ご近所さんや氏神様にごあいさつ。最後は、竹林を抜けて園庭にゴール。
年長の子どもたちが力を合わせて神輿を担ぎ、ちょっと大変なところでは大人が担ぎ、年下の子たちは掛け声をかけながらその周りを囲み(年長さんに憧れの眼差しを向けながら)、園の周りを練り歩いていきます。
「わっしょい、わっしょい」という掛け声には、”和を背負う”という意味があるそうです。幼稚園として使っている場所はもともと、地域の人たちの憩いの場として、古民家を改装した居場所で、その名も「和笑い」。
私も、子どもの頃は近所の神輿に参加して、祭りで綿菓子を食べた思い出がありますが、単に暑くて辛い記憶と、いつもと違った賑わい、という程度の記憶しかありませんでした。
今回、自分たちでお神輿を企画して、子どもたちが練り歩いた道に、風が通り、空気が変わっていき、場が清められたような感覚を味わいました。お神輿やお祭りの、本来の意味について、考えさせられました。
さて、お神輿が終わったら、灯籠に明かりを灯します。
鹿児島には、「六月灯(ろっがっどぅ)」といって、神社(もとはお寺?)やその周りに、灯籠をたくさん下げて、お祭りをする風習があります、お盆の祭りより気合いの入る地域もあるほど、一般的で、未だに重要視される行事です。
それにちなんで、子どもたちで灯籠を作り、さらに、お父さんたち中心に竹灯籠も作りました。灯籠の中で灯すキャンドルは、私が講師となって、子どもたちと一緒に作りました。溶け残った蜜蝋をリサイクルして、手で練って形を作っていき、個性的な蝋燭がたくさんできました。どの作品も、火をつけるのが勿体ないほどでした。暗くなってから、竹の中で灯すので、飾りも別になくてもいいのですが、粘土遊び感覚でつけてもらいました。
子どもも大人も、祭りをやりきった!という清々しい表情で、灯籠を眺めました。優しい光に包まれて、大家さんもとても喜んでくれました。
今後、地域のお祭りがどうなっていくのか、わかりませんが、お祭りの意義を肌で感じた私たちは、きっとまた来年も、どんな形であれなにかを祭るのだと思います。
いのゆり
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