去年の10月7日以来、パレスチナをめぐる報道を自分なりの仕方で追いかけてきた。いや、より正確には、「自分なりの仕方を追い求めてきた」と言った方が正確かもしれない。第一、すでに5ヶ月に及ぶこの悲惨な殺戮戦をなんと呼んだらいいのかにさえ、ぼくは悩まされている。マイケル・ムーアが言っていたように、これをイスラエルとパレスチナの“戦争”と呼ぶには、事態はあまりに非対称だ。イスラエルはジェット機による空爆やタンクによる地上侵攻を繰り返す一方、イスラエルが敵と見なすハマスの方は、飛行機やタンクどころか、車もオートバイも船もない。いや、そもそも、パレスチナ側は国でさえない。しかも、ガザの大半は度重なる戦争の難民キャンプであり、イスラエルに占領され、しまいに封鎖されて、“天井のない監獄”と呼ばれてきた場所だ。この世界一収容者の多い監獄を相手に、その監獄をつくり監視してきたイスラエルが“戦争”をしている、などと言えるだろうか。いや、監獄という言葉を使うのもまずい。監獄といえば、中にいるのは受刑者であり、受刑者は罪人だと思いがちだが、一体彼ら200数十万人の罪は何なのか。彼らは住んでいた場所を理不尽に暴力的に追い出され、行き場を失った難民なのである。彼らを難民にしたのはイスラエルだ。そのイスラエルが難民キャンプを攻撃し、ガザの北から南へと追いやり、さらにその南部を攻撃し、ガザの外からの支援物資の搬入を国境で妨害し、やっと届いた支援物資に群がった人々に銃弾を浴びせる。それを考えるだけで、目がくらみそうだ。
3月2日付の朝日新聞デジタルには「ガザ北部100人以上死亡 住民とイスラエル軍、主張対立」という見出しで、「パレスチナ自治区ガザ北部で2月29日、支援物資を求めて集まった人々が発砲を受け、100人以上が死亡したことを巡り、ガザ当局とイスラエルの主張が対立しています」と書かれている。その上で、「ガザ保健省は『イスラエル軍が発砲した』とし、29日夜までに112人が死亡したと発表しました」とし、援助を求める市民へのこの攻撃は前例のない戦争犯罪だ」とイスラエルを糾弾するハマスの声明に触れている。そして、記事はこう付け加える。
「一方、イスラエル軍のハガリ報道官は29日、この日早朝、ガザ市に到着した人道支援のトラック38台に市民が殺到したと声明で説明。一部がほかの市民を突き飛ばしたり、踏みつけたりしたと述べ、『不幸な出来事により、数十人の市民が死傷した』と主張しています」
つまり、こういうことだろう。昔と違って、インターネットが発達した時代のぼくたちは、今起こっている“戦争”と呼ばれるものが展開する様子を、ほとんどリアルタイムで見聞きしているのだが、刻々進行する現実の速さと凄まじさを前に、自分の理解を支えてくれるはずの言葉が全く追いつかないのだ。だから、仕方なく、ほとんどの人は「戦争」などというありきたりの言葉で済ませておく。「ああ、また戦争やってるね」というふうに。
それでもなんとか、置いてけぼりをくわないように、ニュースを追いかける。ぼくはもうとっくに、日本の主要メディアに過剰な期待はしないようになっているが、海外といっても英語メディアしかわからないので、アルジャジーラ英語版とかデモクラシー・ナウとかを見るほか、YouTubeでぼくの好きなコメンテイターたちの話を聞いたりしている。
状況を追いかけるといっても、下手すると、ただ死者や犠牲者の数が増えるのを虚しく眺めているだけになりかねない。たとえば、3月1日のBBCニュースにはこうあった。
「イスラム組織ハマスが運営するパレスチナ自治区ガザ地区の保健当局は2月29日、昨年10月7日にイスラエル軍とハマスの戦闘が始まってから殺された人数が3万35人にのぼり、3万人を超えたと発表した。この戦争による恐ろしい死者数は増え続けており、今回の厳しい発表から、ガザ地区の人口約230万人のうち1.3%が、戦いで殺されたことになる。保健省は、殺された大多数は女性と子供だと説明した」
殺害された人数を発表する際、保健省は民間人と戦闘員を区別していない、という断わりの後で、記事はこう続く。
「死傷者数を連日発表している保健省は29日、過去24時間で81人が殺害されたと発表した。これによって、10月7日以降の総数は3万35人となった。この人数には、病院に運ばれなかった人は含まれず、イスラエルの空爆で破壊された建物のがれきの下敷きになったままの人数も含まれていない。そのため、実際の死者数ははるかに多いと考えられている。保健省によると、登録された負傷者の数は7万人を超える」
同じ記事によると、世界保健機関(WHO)は、「情報収集と分析能力において優れている」としてガザの保険省を評価しており、保健省による過去の報告は、「詳細」で信用できるものだという。
戦争という言葉だけではない。アパルトヘイト(人種隔離)、エスニック・クレンジング(民族浄化)、ジェノサイド(集団殺戮)などの言葉も、乱れ飛んでいる。記事を読んだり、ニュースを見たりしているときには、抵抗もなく呑み込んでいるこれらの言葉を、自分で使う段になると、途端にためらいがぼくを後ろから引っ張り始めて、これらは手に追負えない言葉となる。でも、とぼくは抗う、パレスチナで起こってきたことはどう考えたってアパルトヘイトだし、ガザで今起こっているのがエスニック・クレンジングやジェノサイドでなかったら、一体何がそうなんだ?!
(続く)
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