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メキシコからのうれしい便り(その2)

執筆者の写真: 辻信一辻信一


創造主に、自然と生命に感謝しなければならない

 


ナマケモノ倶楽部会員で、メキシコ在住のしおさんから、再びグッド・ニュースが届いた。いや、それにしても、呆れるばかりだ。いかにぼくたちがメキシコという大国で起こっていることについて無知であったか。それもそのはず。日本で配信される海外ニュースのほとんどがアメリカに集中しているのに対して、隣国のメキシコはその影に隠れて、ほとんど取り上げられることがない。特に、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(愛称アムロ)氏という類まれな人物が、大統領として、世界にほとんど例のない諸政策を展開し、多くの驚くべき成果を上げたこの6年間について、マスメディアは、その他諸々の「ポピュリズム」の一種としてその名を挙げる時以外は、黙殺し続けてきたのだ。ポピュリストの指導者のリストの中に、トランプやプーチンをはじめとする、見ただけでうんざりするような名前にまじって、時々、アムロの名を見出せるのが関の山だった。

 

もともとポピュリズムという言葉は、民衆を意味するラテン語ポプルス(populus)に由来し、エリート主義に対する民衆主義を意味した。それが今では、世界の多くの場所で否定的な意味で使われることが多い。例えば、IDEAS FOR GOODのサイトの「ポピュリズム」の項には、権威主義的ポピュリズムについて、こう書かれている。

 

権威主義的ポピュリズムのいくつかの形態は、極端なナショナリズム、人種差別主義、陰謀論、疎外された集団のスケープゴート化によって特徴づけられる。そしてそれぞれが、指導者の権力を強化するため、指導者の失敗から国民の関心をそらすため、あるいは指導者の支配の本質や経済・社会問題の真の原因を国民から隠すために役立ってきた。

 

さらに、「民主主義を脅かすポピュリズム」という見出しの下、「右派ポピュリズム」についてはこうある。

 

右派ポピュリズムが民主主義と相容れないことは、ポピュリストのレトリックやテーマの中に登場する「民衆」とは誰かを注意深く考えれば明らかである。ここで話される「衆」は真にすべての民衆を意味していない。右派ポピュリズムが示す「民衆」は、たいていの場合、民族的特徴(例えば白人)の観点から定義される民衆の一部である。このような排他的な「民衆」観は、民主主義が求める政治的平等とは両立しない。

 

こうした論点を踏まえた上で、アムロ前大統領や、彼が唱えた「メキシカン・ヒューマニズム」はどう評価されるべきだろうか。それになおポピュリズムという名を冠するなら、それはどういう意味においてなのか。それを考えるためにも、ぜひ、以下に転載させていただく、しおさんからの投稿を読んでいただきたいと思う。最初から最後まで(そして途中で彼女が挿入してくれたビデオの中にも)「アモール(愛)」という言葉が飛び交うこのメールに、最初はちょっとカルチャー・ショックを受ける人がいるかもしれない。この悪いニュースばかりを聞かされて、「今だけ・金だけ・自分だけ」の“現実主義”政治に慣れてしまって、自分の中でいつの間にか育まれていく悲観主義やシニカルな態度にも無頓着になりがちなぼくたちには、アムロが語る民衆への愛も、人々が6年間示し続けたアムロへの信頼も、ナイーブで現実離れした理想主義にしか見えないとしても仕方ないのかもしれない。

 

いや、そんな時はサティシュのことを思い出そう。『ラディカル・ラブ』で、そして先月の来日で、愛の時代を共に開こう、と力強く呼びかけた彼の言葉を。例えば、彼はこう言っていた。

 

私たちは“理想主義者”と呼ばれてもかまいません。逆にこう聞き返しましょう。現実主義者たちはこの世界で何を成し遂げたのか、と。気候危機を引き起こしたのは理想主義者の仕業ではありません。気候を変え、生物多様性を損ない、大気・水・土壌を汚染してきたのは、現実主義者と呼ばれる人たちの活動です。もっと、もっと、と絶え間なく欲望を膨らませてきた現実主義者たちの指導の下で、戦争をはじめとする人類の悲劇は、地球規模に広がり、指数関数的に拡大してきたのです。現実主義者はあまりにも長いあいだ、世界を支配し、混乱させてきました。今こそ、私たち理想主義者にチャンスを与えるべきです。私たちは現代の心優しい英雄です。地球のために、そこに住む人々のために、私たちがすることは、みな愛の行為なのです。(『ラディカル・ラブ』p189)

 

しおさんが送ってくれた映像のうち、一番最後の「さようなら、さようなら アムロ大統領からの別れのメッセージ」という映像の中で紹介されたアムロ大統領(当時)の言葉を、以下、書き起こしてみた。

 

善良で働き者で智慧と兄弟愛にあふれ、古代メキシコ人の偉大な美徳の継承者である人々のために働くことができ、私は誇りと栄誉をもって引退します。

私は人々に奉仕することに身を捧げ、愛をこめて動きました。

人々に奉仕するということを目的とするならば、良い統治を行うことが可能です。

それが最良であり大きな満足感を与えてくれるものです。

でも、何よりもまず、私は創造主に感謝しなければなりません。

自然にも。生命にも。そして何よりメキシコの人々に感謝しなければなりません。

なぜなら、そのおかげで私は安らかに去ることができるのですから。穏やかに、とても幸せな気持ちで。悲しい気持ちで去るのではありません。私は長年闘ってきて、私のサイクルを閉じるつつあるのです

私たちは、まあなんと頑なにやってきましたよね? 馬鹿正直に、一徹に!

私は全てのメキシコの人々に感謝しています。

忘れないようにしましょう。

「人々とともになら何でもできる、人々なしでは何も!」

自分たち自身に尋ねてみましょう。

誰が私たちの最良の味方だろうか? どう答えますか?

そう、人々です。

誰のために私たちはここにいるのか?

そう、人々のためです!

誰のことを信じたらいいのか?

人々です!人々です!人々です!!

 

歴中を創り続けましょう。栄光を実現していきましょう。「メキシカン・ヒューマニズム』を。

心に留めておきましょう。人生は・価値のないことに費やすには短すぎるということを。

幸福とは自分自身に対して、自分自身の良心に対して、そして他の人々に対して、善良であることです。

私が大統領のバトンを渡すときには、四つの聖かる風に向かい、ミッションを達成したと言いましよう。

私はパレンケに行きますが、あなた方のもとに私の心を置いていきます。

どうもありがとう。

 

このアムロのお別れのメッセージの中にある「「人々とともになら何でもできる、人々なしでは何も!」とか、「誰のことを信じたらいいのか? 人々です!人々です!人々です!!」といった言葉を聞けば、彼がポピュリストと呼ばれることに反対する理由はないようにも思える。しかし、そこでもぼくたちは、世間で乱用されているこの言葉の中に、彼を、他の数多くの政治指導者や専制主義者たちと一緒くたに、詰め込んでしまうことを、きっぱり拒否しなければならない。そして、「メキシカン・ヒューマニズム」という一見ナイーブな言葉によって表現された社会的な実験に真摯に向き合ってみるべきだろう。サティシュが語った「愛の行為」としての政治や経済という理想に向かって、メキシコの多くの人々が本気で歩いているのかもしれないのだ。

 

またこのメッセージの最後にある「私はパレンケに行きますが、あなた方のもとに私の心を置いていきます」という一文だが、それについては、しおさんが投稿メールの最後で( )説明を加えてくれているので、それを前もって引用しておく。

 

(アムロ前大統領は)退任翌日以後は南部のジャングルにあるパレンケの簡素な家へ移り、家族以外とは一切の交流を断ち、植民地化以前の文化の研究と執筆にあたっているとのこと。大統領就任中、巨額の大統領年金制度も廃止し、政府で働いていた時の給料に準じて普通の人と同じ年金(日本円で20万円程度)を受けて暮らしています。予告のとおり、一晩を境に見事に姿を消してしまいましたが、多くの人の心の中で、希望の光のようにして生きています。

 

・・・・・

 

それでは、以下、しおさんからの投稿の全文を、そのまま紹介させていただこう。改めて、しおさん、ありがとう。これからもぼくたちを、ラディカル・ラブへと向けて鼓舞し続けてください。


 


隣に
隣に

“Amor con amor se paga” (愛には愛が返される)

いつもアムロ大統領が言っていた、ホセ・マルティ(キューバの革命家、政治家、作家)の言葉

(2018年アムロ大統領当選の夜の人々の様子を伝えたニュース映像)

 

「愛万歳!」

2024年9月15日、独立記念日の夜。首都メキシコシティの中心広場を埋め尽くした40万の人々が、アムロ大統領の叫びに応えて叫びました。

人の心にあふれ、共振し、天地めぐり、育ちゆく愛。

メキシコでは、愛による平和的な革命が進行中です。

強者の利益優先の歴史の中でも、諦められず夢見られてきた世界。

誰もがひとしく尊重され、人と自然が調和しながらしあわせに生きられる社会。

植民地時代以来構造化されてきた格差や差別、そして新自由主義の時代に歯止めを失っていた政治・経済権力間の癒着、汚職、不処罰、暴力、さらなる格差・・・。不正義や不平等に対する諦めや怒りが満ちていたメキシコで、そんな夢を実現しようと、長きにわたり人々とともに平和的に闘い、働き続けたアムロという人。

 

今年9月末、メキシコではアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(愛称アムロ)前大統領が、8割近い、前代未聞の圧倒的支持率をもって6年間の任期を終え、48年間にわたる政治活動、そして一切の公の場での活動から引退しました。

アムロ政権下に始まった社会変革は、メキシコの歴史において、そして人類の歴史においても、大きな学びや希望、インスピレーションを与えてくれるものであると思います。人々への、いのちへの愛を原動力にユートピアを創造していこうとする政治変革。


メキシコでは、300年間にわたる植民地支配の後、1821年の独立、1857年の政教分離などの改革、1910年の革命という、三度の武力闘争を伴う政治変革を経験してきました。2018年にアムロ大統領の主導により始められた「第四の変革」は、この国初の平和的な革命であり、政治の根本理念として「メキシカン・ヒューマニズム」が提唱され、これに基づき「公正、平等で友愛的な社会の構築」「公平な所得分配と環境への配慮を保証する道徳的経済」のモデルを構築しつつあります。


また、新たな国づくりの基礎となる精神的な土台として、先住民族の人々が自然と共生する中で紡いできた精神性、そして独立を経て、自由で民主的な主権国家を築いてきた政治の歴史という二つを据え直し、国政のあらゆる分野で、ラディカルな政治改革が行われています。


2018年12月1日にソカロで行われたアムロの大統領就任式典には、全国から68の先住民族の代表者としてシャーマンたちが呼ばれ、浄化、プロテクションの儀礼に続き、国民を含む参加者全員による宇宙の四方への挨拶、国の伝統的な統治者(トラトアニ)の象徴となる杖の授与が行われました。式典はメキシコの象徴的な中心である、かつてのアステカ帝国の心臓部にあるソカロで行われ、象徴的なレベルにおいて、国の歴史と伝統を現代の国家につなぎ直しました。これは政治的のみならず国の精神的な刷新をも意味し、メキシコの文化的ルーツに繋がった指導者として大統領を位置づけなおすものであったと言えるでしょう。

 

(アムロ大統領就任セレモニー① 宇宙への挨拶)

(アムロ大統領就任セレモニー② 統治者の杖の授与)

 

アムロ政権のラディカルさと多くの人々の生活や意識に与えたインパクトの大きさは、メキシコ社会に続いてきた壮絶な不正や暴力、差別や格差といったコンテクストなしでは理解しがたいものです。到底変わるはずがないと思われていた幾多のことが、既得権益層のコンスタントかつ激しい抵抗を受けながらも、アムロのゆるがない意思と言行一致の行動、リーダーシップ、そして人々の支持により現実の変化となり始め、それを目の当たりにしたさらに多くの人々の目が、心が開き、世界観と社会が変わりつつあります。極端な格差社会の底辺で疎外されてきた多くの人々が、人間として等しく尊重され、しあわせに健やかに生き、成長し、夢を実現していくに値する存在としてとらえなおされ、サポートされるということ。自分と同様、他の人々もまた同様に尊重されるべき存在であり、ともに社会をつくっている仲間であるということ・・・。


アムロ政権以前、アメリカ的な経済発展、消費生活こそが目指すべき豊かさであるとするような経済、政治、文化的風潮の中で、人口の2割程度を占める先住民族(インディヘナ)の人々は、社会の最下層にいる「遅れた貧しい田舎者のインディオ」として見下されてきました。実際、先住民が多く住む地域はこれまで政府から半ば放置され、インフラ、教育、医療などの公共サービスも十分届かず、農業など産業への支援もなく、鉱山開発などで同意なく土地を収用され環境を汚されようとも権利が保障されないなど、差別的な扱いを受けてきました。先住民の人口比が高いチアパスやオアハカといった州は、国で最も貧しい地域であり続け、多くの人たちが他地方やアメリカなどに出稼ぎに出ました。20世紀前半の革命後、政府は民族言語を消滅させるために、学校での使用を禁止、厳罰化しました。19世紀前半の独立時には6~7割の人々がスペイン語以外の言語を話したと言いますが、現在では6.5%程度になっています。先住民の言葉を話すこと、先住民であることは差別の対象となってきました。


アムロ政権下では、先住民族の文化やその存在を国の根幹にあるものと位置づけなおし、尊厳の回復を進めるとともに、その権利回復や暮らしの改善のため、公医療の無償化や教育制度の改善、経済援助、産業支援、植林事業やインフラの整備など様々な施策を、コミュニティの再生という視点を取り入れながら始めました。今年の総選挙での与党大勝を受けて憲法改正が始まり、先住民族の権利が憲法上にも保証され、現在はそれを具現化するための様々な分野での立法や政策が進められています。


またアムロの後継者となるクラウディアが当選し、国及び大多数の州議会においても与党が大勝した後も、アムロと多くの人々の間では、熱い熱い!愛の応酬の日々が続きました。6年間の任期中、週七日無休の超人的フルスロットルで働き続け、改革をけん引してきたアムロが、さらに加速。政権終了までに全国で進行中の大量の事業を完成させ、諸改革を運用開始させようと、各地各所で全力全速力の作業が進められました。大統領の平日朝の会見は政権最終日まで続き、週末は各地を事業の進捗監督や開幕式でクラウディアとともに飛び歩く様子が伝えられ、全国で、人々が距離を超えた一体感の中で毎日をともに生き、感謝、祝福しあう、世直しの祭りのような熱く濃密な日々となりました。


6年間にわたり、大統領は毎朝2~3時間に及ぶライブ会見(通称マニャネラ)を通し、メキシコ社会が抱える問題について、その歴史的背景と現在の構造を語り、人々がしあわせに暮らせる社会を築くためには何を変える必要があり、そのためにどんな政策をどのように進めているのか、またどんな利権構造がそれに抵抗しているのかなどを説明し続けながら改革を進めました。また、問題解決のための政策という視点だけではなく、メキシコというユートピア像、その土台となる価値を語り、自らの存在と行動によって倫理的な模範を示し、人々への愛を伝え続けました。


私たちは何者で、どこから来て、どこへ行きたいのか?幸せとは何か?人がしあわせに生きられる社会を築いていくには、何を変えたらいいのか?何が可能で不可能だと、なぜそう信じているのか?


それぞれの環境でそれぞれ日々の生活に追われていた人々の中に、ともに歴史を継承し創造する同志愛、兄弟愛のような共感と連帯感、そして希望が育ち広がっていきました。「私たちメキシコ人」という認識が、自分の家族や特定の地域、組織などの空間、そして過去現在未来という時間を超えて、さらに拡大していったのです。


統計によればメキシコ人口の8割は混血(ヨーロッパ系白人含む)、2割が先住民族であり、71の先住民族と、364以上の言語が存在すると言われています。歴史や文化、社会的経済的状況の異なる人々が同じ領土に同一国民として共存するメキシコという国において、アムロは、共同体としてのネーションの再創造、国の生まれ直しのプロセスを率いました。その原動力が私欲ではなくすべてのいのちの幸せを願う、愛であるということが、人々の心を動かしました。


政治学者ベネディクト・アンダーソンはネーション(国民)を「想像の共同体」であると定義しました。ナショナリズムというと、戦後の日本に生まれ育った私などは、戦前、戦中の軍国主義や国家至上主義の押し付けについて学んできた記憶から、ある種の抵抗感や危うさを感じてきました。現在のメキシコでは、政治改革とともにナショナリズムの高揚が図られていますが、ネーションという装置を用いて実現しようとするものが、人々がしあわせに生きられる社会であり、その原動力がヒューマニズム、普遍的な愛であるということに、心動かされるとともに、将来の世代にわたって、その意図が純粋さを持ち続けていくことを願わずにはいられません。どんなに美しい理想に基づいてできた仕組みでも、運用する人々の意図次第では不正が生じうるのですから、常に、愛を土台とした倫理を育てていくことが重要です。


政権が変わり、政策が変わっても、人々の倫理観や利害関係がただちに変わるわけではありません。汚職の存在を前提に活動してきた企業や政治家、政府組織、ジャーナリスト、暴力組織・・・。そこから何らかの利益を得てきた人々がおり、その環境しか知らない世代もいるのですから、抵抗や逸脱はあります。変革は始まったばかりであり、そのプロセスにあります。2002年には公立学校において倫理や公民の科目が廃止となり、社会の仕組みについて貧しい人々が無知であり続けるよう仕向けらるとともに、公教育の質を落としながら私立学校の参入を促進し、教育の商品化が強まり、格差が広がりました。アムロ政権以降、汚職防止のための諸改革とともに、「意識の革命」の重要さを説き、愛と倫理による政治を体現していくことで、国とその将来に向けての希望や信頼を多くの人々に取り戻してきました。


9月15日、アムロ政権最後の独立記念日、国の中心広場ソカロは、夜11時に始まる記念式典を待って、国中、そして海外からも集まってきたメキシコ人たちで昼からいっぱいでした。皆トイレに行く間もご飯に行く間も惜しんで場所とりをしていましたが、初めて会った人同士も親戚のように談笑しあい助け合い気遣いあい、朗らかに和やかに、そして二度にわたる横殴りの夕立にもじっと耐えながら、誰も文句も言わず立ち去るもことなく、アムロが国立宮殿のバルコニーに姿を表すのを健気に待っていました。みんな、ありがとうを言いたかった。みんな、歴史的瞬間をともに創造してきたこと、ともに生きていることへの感謝と喜び、誇り、そして二週間後に迫った別れへの寂しさで胸がいっぱいで、張り裂けそうな思いで集まっていたのでした。


この式典は「独立の叫び」と呼ばれ、大統領が独立の英雄たちの名を叫び、人々が万歳で呼応し、最後に鐘が鳴らされるというもので、例年開催されてきましたが、アムロは歴史上の英雄だけでなく、無名の英雄である人々や、新生メキシコが大事にする価値観をも加えました。


¡Vivan las heroínas y los héroes anónimos!(無名の英雄たちよ万歳)

¡Viva la libertad!(自由万歳)

¡Viva la igualdad!(平等万歳)

¡Viva la justicia!(正義万歳)

¡Viva la democracia!(民主主義万歳)

¡Vivan nuestra soberanía!(私たちの主権万歳)

¡Viva la fraternidad universal!(普遍的兄弟愛万歳)

Mexicanas, mexicanos, ¡que muera la corrupción!(汚職に死を)

¡Muera la avaricia!(貪欲に死を)

¡Muera el racismo!(人種差別に死を)

¡Muera la discriminación!(差別に死を)

¡Que viva el amor!(愛万歳)

¡Vivan los trabajadores mexicanos que son de los mejores del mundo!(世界最高のメキシコ人労働者たちよ万歳)

¡Vivan nuestros hermanos migrantes!(兄弟なる移民たちよ万歳)

¡Vivan los pueblos indígenas!(先住民万歳)

¡Viva la grandeza cultural de México!(メキシコの文化的偉大さよ万歳)

¡Vivan todas y todos los mexicanos!(すべてのメキシコ人よ万歳)

¡Viva la Cuarta Transformación!(第四の変革万歳)

¡Viva México!(メキシコ万歳)


アムロの手によって国旗が降られ、鐘が打ち鳴らされた後、華々しいマリアッチ音楽が鳴り響き、人々の頭上に次々と花火が打ち上げられ、広場は音と光と歓声の洪水になりました。マリアッチに続いて、オアハカ民謡、ベラクルス民謡。お祭り好きのメキシコ人たち、ともに歌い、叫び、笑い、踊り。花火と音楽が終わり、煙がたちのぼる夜空と、広場が揺れるような人々の歓声。アムロの住む国立宮殿の上空に、メキシコ国旗色で「GRACIAS(ありがとう)」の文字が浮かびあがり、泣いてしまう人々。


「大統領!大統領!」「ともにいられて光栄です!」「実現できました!」「行かないでください!」「ありがとう、ありがとう」「愛してます、愛してます」・・・バルコニーから人々にハグを送るアムロ。特権層と対立し、正義と民主主義の実現を求め、50年近くにわたり、殴られても倒されても立ち上がるボクサーのように、壁を壊しながら人々と愛を分かち合い続けたアムロ。引退したら二度と人前に姿を現すことはないというアムロの意思を、皆尊重しているけれど、それでも今生の別れを前にしてみんな胸が張り裂けそうな思い。いつしか、皆、距離を超えて一緒に毎日を生きていたのです。


(SNS上には、アムロへの感謝と愛慕、惜別の思いを表現する投稿が連日溢れてみんなよくよく笑って泣きました。これは、先述の「No te vayas行かないで!」が「ありがとうgracias」に変わっていった場面。https://youtube.com/shorts/MltFo9P15yU?si=GuES2qihzquT2fhF

このおじいちゃんもかわいい)




9月1日、アムロは国の中央広場(ソカロ)にいっぱいの人々、そしてインターネットやテレビを通じて全国で中継を凝視している人々を前に、第六次政権報告を行い、各分野の政策の実績について報告し終えた後、こう語りかけました。

 

「ご存じの通り、私はもうすぐ任期を終えようとしていますが、ここ、メキシコの中央広場、正義と民主主義を求める戦いのために、何度も皆さんと集まってきたこの広場で告白したいと思います。私は明確な意識をもち、非常に満足して引退するつもりです。

まず、何百万人ものメキシコ人の支援を受けて、この国の貧困と不平等を減らすことができたことほど嬉しいことはありません。また、国民の負託により、私が大統領のたすきを手渡すことになる人物は、経験豊富で誠実で、そして何よりもすぐれた感受性と善良な心を持った並外れた女性であるため、私は落ち着いて去ることができます。クラウディア・シェインバウム・パルドは、私たちの変革運動の創設原則である、平等、自由、正義、民主主義、主権の真の擁護者です。 


さらに私は、善良で、勤勉で、知性があり、友愛に満ちた善良な国民、古代メキシコ人の偉大な美徳と価値観の継承者、有名無名、無私無欲のヒーローたち、ヒロインたちの尊厳と愛国心の継承者であるメキシコの人々に奉仕してきたという誇りと栄誉を持って引退します。


皆さんと共に、そして上からではなく下からたくさんのことが行われました。私たちは意識の革命を前進させ、「メキシカン・ヒューマニズム」と呼ばれる新しい政治を強化するための基礎が築かれたことに疑いの余地はありません。この政策は本質的に、忘れられ、屈辱を与えられてき下層の人々を認識し、配慮するものです。私たちは、権力とは他者に奉仕するときにのみ意味を持ち、美徳となることを明確にしています。 


しかし、どれほどの成果があったとしても、政府が人々の幸福などまったく気にせず、メキシコという楽園に生まれ暮らす人々から略奪すること、正義ある進歩を妨げることだけに専念する無神経な寡頭政治家の手にあった、嵐のような時代が長く続いたため、私たちがいまだ遅れに苦しんでいることも事実です。


このため、これまでに達成されたものを強化し、新たで寛大な永遠の祖国を建設し続けるために、これからも戦い続けることが不可欠です。人生は価値のないことに浪費するには短すぎるということを心に留めておきましょう。また、幸福はお金や物質的な所有、肩書きや名声、力のための力を追求することにはないということを決して忘れないようにしましょう。幸福とは、自分自身、良心、そして隣人に対して善良であることです。


そして最後に、ありがとう。心より感謝申し上げます。

 

人民万歳! メキシコ万歳!メキシコ万歳!メキシコ万歳!」

 

(任期完了の夜、アムロが公式アカウントに最後に投稿したお別れの動画メッセージ。退任翌日以後は南部のジャングルにあるパレンケの簡素な家へ移り、家族以外とは一切の交流を断ち、植民地化以前の文化の研究と執筆にあたっているとのこと。大統領就任中、巨額の大統領年金制度も廃止し、政府で働いていた時の給料に準じて普通の人と同じ年金(日本円で20万円程度)を受けて暮らしています。予告のとおり、一晩を境に見事に姿を消してしまいましたが、多くの人の心の中で、希望の光のようにして生きています。このメールに添付した写真は、独立記念日式典で私の隣にいた少年。「あなたは人々を守ってくれた。これからは人々があなたの遺産を守っていく」と書かれています。)



2 Comments


Noriko Ishige
Noriko Ishige
Dec 12, 2024

全く 完璧な指導者でしたのですね、アムロさんのスピリットエキスを世界中の政治の先端に立つ方々に服用していただきたいです。殊に、紛争諍い略奪 血で血を洗い 唯一無二の地球を破壊するような振る舞いをしている方々に!

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勝巳 久保田
勝巳 久保田
Dec 11, 2024

アムロさん、美しい生き方ですね。人の上に立つ人はかくあるべきだと思います。

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c) theslothclub 2022

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